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トキワ荘で感じた、手塚治虫の「祈り」

2025.09.28

先日、東京・豊島区にある「トキワ荘マンガミュージアム」を訪れました。

近くに伺った時にふと思い出し、調べてみたら混雑しているときには予約優先。

とりえずダメもとで現地に行ってみて受付で聞いたら「空きがありますよ」とのことで、

見学することが出来ました。

 

 

昭和の漫画文化を築いた伝説のアパート「トキワ荘」を再現したこの場所は、まるで時空を超えて、漫画家たちの青春と情熱に触れるような体験でした。

 

館内には、手塚治虫をはじめ、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫など、錚々たる面々の創作風景が丁寧に再現されており、彼らがどんな思いで作品を描いていたのかが、空気のように伝わってきます。

 

 

●手塚治虫の「自然」と「平和」へのまなざし
展示の中でも、私の心に深く残ったのは、手塚治虫の創作哲学でした。彼の作品には、常に「自然への敬意」と「平和への願い」が根底に流れています。
『火の鳥』や『ジャングル大帝』などを通して描かれるのは、ただの冒険やドラマではなく、人間の業、生命の循環、そして自然との共生です。手塚は、戦争を経験した世代として、「命の尊さ」や「争いの愚かさ」を漫画という形で、子どもにも大人にも伝え続けました。

 

展示パネルの一文に、こんな言葉がありました。

「人間は自然の一部であり、自然を破壊することは、自分自身を破壊することだ」

 

 

この言葉に、私はしばらく足を止めました。保険やリスクマネジメントの仕事をしている私にとって、「守る」という行為は、単なる損害回避ではなく、命や関係性、そして未来への責任でもあります。手塚治虫のメッセージは、まさに大切なことを突いているように感じました。

 

「描くこと」は「祈ること」
トキワ荘の一室に再現された机には、鉛筆と原稿用紙が置かれていました。そこに座っていた彼は、どんな思いでペンを走らせていたのでしょうか。

 

きっと、ただ物語を紡ぐだけではなく、「争いのない世界を願う祈り」や「命のつながりを伝えたい想い」が、一本一本の線に込められていたのだと思います。

 

私たちが日々書く文章や資料、メールの一文にも、そんな「祈り」が宿ることがあるのではないでしょうか。誰かの不安を和らげたい、未来を少しでも明るくしたい——そんな気持ちが、言葉の奥に滲むような仕事を、私もしていきたいと改めて思いました。

 

最後に
トキワ荘は、ただの観光地ではありませんでした。そこは、創作を通して「人間とは何か」「どう生きるべきか」を問い続けた人々の魂が宿る場所でした。
手塚治虫のまなざしに触れたことで、私自身の仕事や生き方にも、静かな問いが生まれました。
「自分の言葉や、書いた文章は、誰かの心を守っているだろうか?」
そんな問いを胸に、また日々の仕事に戻ろうと思います。

 

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